覚え書き-知り合いではないけど

有名人の思い出話(忘れないうちに、自慢話風に)

高校は1970年の大阪万博の会場近くで、1965年〜1968年まで通いました。
吹田市や豊中市にまたがる千里山の一角で、近郊都市開発が盛んな時期でした。
阪急の新千里山駅で降りてスクールバスに乗り、学校まで通っていました。
ある朝、新千里山駅でスクールバスの出発時間を気にしてホームを走っていたら、人にぶつかって転びました。顔に当たったようでメガネが飛び、カバンを落としたのですが、バスが気になって慌てて拾おうとしたら、両脇から暗い色の背広を着た男性2人に抱えるようにして起こされました。「気をつけや」と言われてビビりましたが。「???」のまま改札口を出てバスに飛び乗ったら、後ろから乗ってきた同級生から「お前がぶつかったん、吉永小百合や」と言われて、チンプンカンプン。バスの前の方の席に座っていた女子生徒5人くらいがサイン入りの色紙を大事そうに抱えています。その時は全貌を掴めなかったのですが、日活で「青春のお通り」という映画のロケをやっていたようです。ネットで「青春のお通り」を探したら色々でてきました。

青春のお通り:昭和40年(1965年)7月14日公開
https://www.nikkatsu.com/movie/20870.html
https://ameblo.jp/1141-yuri/entry-12197559449.html
http://blog.livedoor.jp/magicmaidcompany/archives/1722644.html
https://maricozy.hatenablog.jp/entry/2022/12/17/000000_3

あの後、思い返してみたら、ぶつかった場所は自分の顔の左上部分。
相手も顔だったとしたら、あら、キス寸前だったのかも。。
女子生徒たちが持っていたサイン入り色紙は不自然だな?と思ったら、予めサインした色紙を当日ロケ現場で配っていたらしい。そりゃそうだ、色紙を持って歩く訳ないものね。
高校に入学して間も無くだったから、多分、5月の連休明けの頃。映画の公開が7月14日というのは映画制作はものすごい短期スケジュールでやっていたのですね。

リンリンランラン
羽田空港で香港に行く時の待合ラウンジで二人揃っていました。1979年頃。
ステージ衣装ではなかったけれど、雰囲気そのままで遠くから見てもすぐ分かる感じ。
長い三つ編みが目立つのかもね。

ピンクレディ
伊丹空港で東京行き最終便の搭乗待ちをしていたら、自分たちの周りに人の囲みができていて、隣にいた弟が「兄ちゃん、隣、ピンクレディや」というので、ハッとして左側を見たら背の高い方のミーちゃんが壁に持たれて漫画のブラックジャックを読んでる。右の弟の横にはケイちゃんと関係者らしい人が小声で話してる。。人の囲みから圧を感じたのでその場を離れました。1980年頃です。

郷ひろみ
大阪からの帰りの羽田空港、空港の到着ロビーを出るところで、若い女性が何人も向かってくる。コレあげるとか言いながら。。ハッと後ろを見たら郷ひろみがニコリともしないでついて来ていた。1981年頃。

南沙織
羽田で大阪行きの便に搭乗した時、5列くらい前の先に南沙織が着席しようとしていた。周りに気を遣いながら笑顔で。1980年頃でした。

朝丘雪路
実家の耳鼻科医院に患者として来ました。その時は家中で大騒ぎ。1964年頃でした。
大阪のフェスティバルホールでのコンサート中に喉が痛くなったらしく、大阪後援会長をしていた医師会仲間からの伝手で診察・治療に来たらしい。マスコミなどには漏れないようにという配慮が働いて医院の診療が終わって夜の9時ごろに来院。父は医師として診察室にいるのですが、母も看護婦姿で診察室に出るし、子供たち3人は診察室の扉の隙間から覗いていました。
朝丘雪路本人はサングラスをしていましたが、造り全体が大きく見えて芸能人オーラが出ていましたね。
年末に歳暮として野沢菜の漬物の大きなのが届きました。芸能人ってそういうものなんだというちょっとしたショック。芸能界の歳暮で派手なのをイメージしても良いかも.. という子供心。

田原俊彦
自動車教習所でバイクの試験を受けた時、コース内で田原俊彦の撮影が行われていて、試験官たちはそちらが気になって、チェックが大甘。ミスってもお構いなしでの合格でした。1981年頃。田原俊彦の最盛期だったと思います。

画像は蓮の花。普通に朝撮影したのを画像編集ソフトで調整してこの表現にしました。

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