日々感じる「老化」

6月現在72歳と3ヶ月。
毎日感じている老化ですが、運動能力、体力、筋力は甚だしく落ちてきているものの機能不全にはなっていません。日常生活で、座る・立つ・歩く・たまには駆けるなどもできています。これが、屋外の少々段差や坂があるところでは、脚力や腹筋を補う意味でストック1本あればカバーできる感じです。

気力は、元々受け身なことは好きでなく能動的に働きかける方ですので、写真関係でそれなりに発揮・発散しています。経験を積み上げることで、失敗もありながら充実感が増してきている好ましい状況です。

最近感じている「老化」は、約70年培ってきた幾つかの基本常識なるものが違っていたことに気付かされることです。若い頃からの学校教育や社会経験で培ったものが、視点を変えることで真反対に見えることがあるのです。
15歳の頃からの10年は1965年〜1975年ですが、日本の社会は学生などが中心で政治運動が荒れ狂いました。全共闘〜日本赤軍の頃で、自分は敢えて大きく距離を置くノンポリに位置していたのですが、政治運動の中身を知らずに共産主義やアナーキズム(無政府主義)は「非」としていたのです。特にアナーキーは絶対にダメ、政府転覆運動と刷り込まれていました。

昨日(6/21)の日経夕刊にクロポトキンのことが出ていて読んでみると、ロシアの思想家で共助の思想を唱えて広く世界に影響を及ぼしたとのことでした。アナーキズムは政府を転覆することが目的の思想ではなく、「共助」が目的だったのを今頃になって知ることになるとは。
同様に共産主義も暴力的イメージがありましたが、ソ連・中国などの指導者による問題と分かってきて、以前ほどの忌避感はなくなりました。

政治に限らず、日常生活や教養文化などでも以前知っていたこととは違うと思うことが多いです。幸いに、スマホなどでググればかなりのことは探れるのでマメに確かめながら「老化」に慣れるようにしています。

「老化」を意識しながらの生活でもう一つは経済のこと。
年金暮らしで倹しい生活をしているわけですが、最近考えるようになったのは新しく買うものは死ぬまでにどのくらい使うのかということ。毎日使うものであれば然るべく吟味して購入すしますが、あれば便利とか、興味があるから使ってみようと思うものは「いつまで使う?」「何回使う?」を考えるようになりました。72歳になってからですが。。

写真のための撮影機材は収束フェーズに入っています。ベンダーが発表するレンズやカメラは自分向けではなく若い世代向けのものと思えるようになっています。どんなに技術革新が進んでも「撮りたいもの」「撮れるもの」は新しく産まれ出るわけではなく、自分にとって一時の気まぐれに過ぎなくなることが分かってきました。動画・ドローン・360度カメラetcですね。
購入意欲の減少は「老化」なのでしょうか?

撮影のためのクルマ移動についても、体力などのことから数年以内という感じです。
こういう流れは、悲しいことでも辛いことでもなく、無理をしないで生きていく方法だと思うのです。生活のダウンサイジングも行いながら、エイジングに拘らずに生きていくのは良いと思うのですよ。ただ、人生100年だとするとこれが25年以上続くのは厳しいかな?

タイトル画像は薬師池公園の花菖蒲。
あやめや杜若などとの違いは、花弁の芯に黄色い線が入っていると花菖蒲とのこと。
分かりやすく覚えやすいです。

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