街頭で稼ぐ

私が見た街頭で稼いでいる人たちの話です。
子どもの頃からの思い出が中心になりますが、また、正確さに欠けるかもしれませんが、彼らの稼ぎ方を考察してみようかと。合わせて当時の街角風景などを懐かしむつもりで。

大阪で幼稚園に入る前後の記憶です。1年弱暮らした家での思い出です。多分、1954年ごろ。
家の前でオーバーを着てポーズをする感じのL版の写真があるのですが、母親曰くこの写真は街頭の写真師が撮ったモノで親に売りつけにきたのを買ったというのです。アルバムにあるので気に入って買ったと思うのですが、「知らない人には写真を撮らせるな」と言われたのを覚えています。この写真師については自分も覚えていないし、親は見知らぬ人物ということ、押し売り風に子どもの写真を売りつけるのが当時の商売として成り立っていたのか?家は小さくて、裕福な感じの構えではないので売ろうとしても買ってくれるかは分からなかったと思うのですが、子どもが着ているオーバーを見て可能性を感じたのかもしれません。

小学校に通い始めた頃、1957年頃ですね。親がデパートに連れて行ってくれるのが楽しみでした。
一番は、バスに乗れることです。バスから見える景色はゴチャゴチャの大阪の街並みですので美しいというモノではありませんが、乗り物に乗ることが嬉しかったのです。当時のバスの乗車賃は大人15円子ども10円だったと記憶しています。家の近くにも市営バスの車庫があり、始発のバスで大阪駅に行くのですが、大阪駅のバス乗り場はすごく広くバス停(行先別の標識が立っているところ)にはバス待ちの人が並んでいました。その先頭に中年から老年に差し掛かるくらいの年齢の女性がいて、バスの切符を売っていました。彼女たちは回数券を買い込み切り売りして稼いでいたのです。自宅近くのバス停も行先が数カ所あってバス待ちの人がいましたが切符売りのおばさんはいませんでした。大阪駅のバス停に並ぶ大勢の人を相手に商売していたのでしょうね。切り売りしてくれた回数券はロウ引きのもので厚さも感じるしっかりした作りのものでした。

大阪駅にはデパートが2つあり、丼池の商店街もあって活気あふれる刺激的なところだったのですが、広い歩道には傷痍軍人も軍服に白い包帯姿や白装束で座る人たちを覚えています。眼を惹くために軍歌を演奏するグループもいました。連れられているので、親に引っ張られて前を通り過ぎていました。

父親がプロ野球観戦が好きで、小学校低学年の時に甲子園球場に連れて行ってくれました。切符は球場前で現地調達です。駅から甲子園球場までの間で球場に向かう人に向かって声をかけている人がいます。「内野席あるで」「買うよ」と声をかけるダフ屋です。父は様子を伺いながら適当なダフ屋から入場券を買っていましたが、一塁側は早く売れてしまい、三塁側(ジャイアンツ側)に入ることが多かったような記憶があります。当時は甲子園球場の雰囲気は7:3でタイガースでしたからジャイアンツ側でもそうは気にならなかったようです。それで、切符の数は2枚ではなくて1枚。父親の膝に座るふりをして前に立つか通路に出て見ていました。入場券を売る人が買うなんて変なの?と思い、商品の仕入れをしてるというのには気付きませんでした。1960年頃の思い出です。

1972年頃、競馬場周辺の道端では競馬予想を売っている人たちがいました。売り物には幾つかのパターンがあり、見ていると楽しめます。レース開始前は今日の勝馬予想を封筒に入れて1000円前後、レース終了後は出目予想の本を今日のレース結果と合わせて買っていればいくら儲かったという解説付きで1万円くらい。レース終了後に儲かった人は買うかもしれないけど、こういうのに立ち寄る人は負け組が多いのであまり売れていないようでした。負けて財布の中は厳しい状態ですものね。見物していた人が「この本インクの匂いがいいですね〜」と言ったら、見ていた人数人がその人の腕を抱えてその場から引き離しました。レース中にその本を印刷していたのでしょうね。今日の出目に合わせて。

就職したのは1974年でしたが、その頃、職場の先輩が自慢げに見せてくれた紳士用品のセットを思い出します。ネクタイピン、カフスボタン、ベルトのセットで一見高級品に見えるけど、怪しいワニ皮のモノ。当時は土曜日も午前中出勤でしたが、土曜日の午後、丸の内あたりで車の窓から声をかけられ、降りてきた紳士から買ったというのです。値段も給料の1/5くらいだそうですから、ボラれたのは間違いありません。身なりのきちんとしたセールスマン風の人から買ったということで本人は満足気でした。

1990年代はパソコンなどの電子機器に夢中でした。アレができる、コレもできるかもの夢を追いかける、試してみるの絶好調の頃です。財布の中にはビミョーな額のお金しかないものの秋葉原に通っていました。
大きな声で早口で捲し立てているマハ・ポーシャを思い出します。1人で、時には2人で相手がいないのに騒がしく声を出していました。修行だったようです。パソコンオタクが集まってくる少し前の頃でしたが、秋葉原の街頭でCD-ROMのコピーソフトを売っているのに遭遇したことがあります。離れたところから見ていると、1m四方くらいの白い紙を広げて、CD-ROMを5セットくらい置き数人が買うと店じまいして場所を移る。違法ソフトですから通報を避けるために場所を移動しながら商売してるのでしょう。有名ソフトが数十入っていて、パスワードなんかも添付されていたようでした。

こういう風に見ていると街頭で稼ぐのは怪しい危ない感じの商売のようですが、最近は暴力団対策の効果も出て少なくなっているのでしょうね。余り見聞きしません。

画像は世田谷区役所があるキャロットタワーから見た新宿副都心、2019年8月の撮影で300mmの望遠です。

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